貢献の欲求。
有名なマズローの5段階欲求の中でも、最上位に位置する自己実現の欲求を満たすための方法の一つです。
これは、誰かのための役に立ちたいという純粋な気持ちで、人間の欲求の中でも最も崇高なものの一つだと思います。
そして貢献の欲求が満たされたとき、つまり、自分が他の誰かの役に立てたと思えたときの瞬間は、何物にも代えがたい喜びを感じることができます。
しかし、最近私が良く感じるのですが、本当の意味で人の役に立つのって結構難しいなーと思います。
なぜ難しいのかを考えていると、2つの大きな理由があることに気づきました。
このページでは私の考える「なぜ本当の意味で人の役に立つことが難しいのか?」について、あなたにお伝えしていけたらと思います。
目次
人の役に立つのが難しい理由
それでは、早速ですが私の考える本当の意味で人の役に立つのが難しいと思う理由についてお伝えしたいと思います。
それが、この2つです。
- 人の役に立つたつためには、そのための力を身に付ける必要があること
- 自分のしたいことと相手のされたいことが一致している必要があること
この2つが、自分が人の役に立ちたいと思っても、なかなか思うようにいかない理由になっているのではないかと感じます。
次の章からは、この2つの理由について更に詳しく私の考えをお伝えしていけたらと思います。
人の役に立つ力を身に付ける必要があること
まずは、人の役に立つ力を身に付ける必要があることについてお話します。
唐突ではありますが、このことをすごく表していて、私の心に深く突き刺さった言葉があります。
それは、アメリカから人種差別をなくすために立ち上がったことで有名な、マーティン・ルーサー・キング牧師のこの言葉です。
「愛なき力は暴力であり、力なき愛は無力である」
前半の、愛なき力は暴力であるというのはすぐに分かりますよね。
相手のことを何も思わずに振るう力は、暴力以外の何物でもありません。
そして、この言葉で注目したいのは後半の部分、「力なき愛は無力である」というところです。
ここが、この言葉の最も重要な部分だと感じています。
これは、「人の役に立つためには気持ちだけではだめだ」ということをとても端的に表している言葉だと思います。
このように、人の役に立ちたという思いだけでは、それはまだ無力であり人の役に立てないのです。
少しここで、世の中でも人の役に立つ仕事・人を助けている職業をざっと上げてみたいと思います。
- お医者さん
- 警察官
- 消防士
- 海上保安官
- 自衛隊員
ざっとこのような職業の方が思い浮かぶのですが、この人たちは、人を助けるためにどれだけの努力をしているでしょうか?
お医者さんになるためには、とても難しい大学の医学部に入学しなければなりませんし、入学してからも患者さんの命を助けるために懸命に医療の勉強をしています。
また、海上保安官の仕事は「海猿」でとても有名になりましたが、彼らは海で人を助けるために、毎日血の滲むような鍛錬を積んでいますよね。
しかも、これだけ日々訓練を積んでいるお医者さんや海上保安官でも、目の前の人を100%助けられる訳ではなく、それができない場合もあります。
このように、本当の意味で人の役に立ったり人を助けるためには、自分がその力を身に付けなければ決してできないことなのです。
まあ、これらの職業の方は少し極端な例になってしまうかもしれませんが、やはり、人の役に立つことは自分の思っている以上に難しいことなのだと思います。
なので、何か人の役に立ちたいと思ったときは、少しでもそのための力を自分が身に付けることができるように、日々努力と研鑽を積んでいく必要があるのです。
自分と相手の気持ちの一致が必要なこと
次は、自分のしたいことと相手のされたいことが一致している必要があることです。
この時、相手のために何かをしたい自分と、それを受ける相手がいた場合、その状況は下記の4つに分けることができます。
自分 | 相手 | 状況 |
---|---|---|
したいこと | されたいこと | 貢献と感謝 |
したくないこと | されたいこと | 搾取と要求 |
したいこと | されたくないこと | 自己満足とありがた迷惑 |
したくないこと | されたくないこと | 無関心と無関心 |
この4つのうち、自分にとっても相手にとっても良い関係(Win-Winの関係)を築けているのは、一番上の自分のしたいことと相手のされたいことが一致しているときだけなんですよね。
これ以外はどれも全てネガティブな要素を含んでいて、結局は続けられなくなります。
それでは、この4つがどのような状態なのか、更に詳しく説明していきたいと思います。
自分のしたいこと・相手のされたいことが同じ場合
まずは、自分のしたいことと相手のされたいことが同じ場合です。
この場合は、自分は相手の役に立てて貢献の欲求がすごく満たされます。
そして相手は、自分のして欲しいとをやってもらえたので、感謝の気持ちが芽生えます。
このように、自分も相手も幸せになれるとても素晴らしいとても良い関係が築けます。
これが、人間の中でも最も崇高な欲求である「貢献の欲求」の正しい満たし方です。
自分のしたいことをしているので、人の役に立つことをするときに何のストレスも感じません。
なので、いつまでもいつまでも、人に貢献できたときの何物にも代えがたい幸せを感じることができます。
自分はしたくないけど相手はして欲しい場合
ここから先は、ネガティブな要素が発生して本当の意味で貢献の欲求を満たすことができない関係性になります。
良くない関係性の最初は「自分はしたくないけど相手はして欲しい場合」です。
この状況では、与える側の自分は貢献というよりは、むしろ搾取されているといった気持ちになってしまいます。
そして相手は、感謝というよりは、むしろ自分の要求を突き付けているという感じです。
ここは特に、良い人が陥りやすいところです。
相手にNoが言えなかったり、自己啓発本などを読んでとくかく人に貢献しなければと思っている人は、本当に注意が必要だと思います。
なぜならば、これを続けていると、貢献の欲求が満たされるどころか、確実に自分がつぶれてしまうからです。
相手の役に立ちたいという気持ちは人間の中でも最も素晴らしい気持ちの一つだと思うのですが、自分も人間である以上そのエネルギーには限りがあり、嫌なことや苦手なことも当然あります。
そして嫌なことでも相手のためと思って無理やり続けていると、いつか自分の方がエネルギー切れになってしまい、最悪の場合、うつ病などの精神疾患になってしまう可能性も十分あります。
(ちなみに私も、このパターンで自分がエネルギー切れを起こしうつ病にかかった経験があります)
このように、自分が嫌なことや苦手なことだと、いくら貢献をしたいと思っても自分の方が先につぶれてしまいます。
なので貢献の欲求を満たしたいときには、「自分は何が得意で、何だったら無理なく人に与えることができるのか?」を考えることが、とても重要になります。
自分はしたいけど相手はされたくない場合
ここも、人の役に立ちたいと思ったときには本当に注意しなければならないポイントだと思います。
この状況では、自分は貢献の欲求が満たされるのではなくただの自己満足になってしまいます。
相手にとっては、されたくないことをされているのでありがた迷惑というかなりめんどくさいことになります。
これでは、お互いに幸せになることはできないですよね。
この部分でとても難しいのは、人はそれぞれ「されたいこと」と「されたくないこと」が全然違うことです。
あなたも小学生くらいの時に、先生からこのように教えられてことはなかったでしょうか?
「自分のして欲しいことはあの子にもしてあげて、自分のして欲しくないことはあの子にもやったらダメだよ」
純粋な子供は、この言葉を信じでそのように行動すると思います。
しかしこのとき、往々にしてこのようなことが起こります。
「自分のして欲しいことをあの子にしたのに、全然喜んでくれないどころか、むしろ嫌がられたり傷つけたりしてしまった」
そして子供は、えっ、先生に言われた通りにしたのなんで?と悩んでしまう訳です。
なので、先ほどの先生の教え方はまだ不十分で、本当はこのように言う必要があります。
「あの子のして欲しいことをあの子にしてあげて、あの子のして欲しくないことはあの子にやったらダメだよ」
しかしこれ、先ほども言った通りめちゃくちゃ難しいのです。
自分のして欲しいこと・して欲しくないことは自分のことなのですぐに分かるのですが、他の人のして欲しいこととして欲しくないことなんて正確に分かりっこ無いからです。
その分からない中でも少しでもそれに近づけるためには、男女間であれば異性がどのように考えるのかを勉強したり、親子間であれば世代の違いによってどのような考えの違いが生まれるのか勉強をしたり、可能な限り相手の立場に立って考える訓練が必要になります。
これはなかなか、勉強せずに自然と身に付けることは難しいことです。
そう考えると、やはり本当の意味で人の役に立つには、きちんと努力をしてその力を身に付けることが必須の条件と言えると思います。
自分もしたくないし、相手もされたくない場合
最後は、自分もしたくないし、相手もされたくない場合です。
これは自分は何もやらなくて良いし、相手もされたくないことをされないので一見良いように見えますが、これもやはり良くありません。
それは、この関係はお互いに無関心という状況に陥ってしまう可能性が非常に高いからです。
ここでも私の心の深く突き刺さっている言葉があります。
その言葉は、世界中の貧しい人たちのために尽くしたことで有名な、マザー・テレサのこの言葉です。
「愛の反対は憎しみではなく無関心です」
そうなのです。
この無関心という状態が、相手に対して最も愛の無い状態なのです。
先ほどのありがた迷惑の場合ではまだ相手に何かしたいという気持ちがあってこその行動になりますが、無関心だとそもそも相手に対して何かしたいという欲求すら湧いてきません。
そのため、人間関係の中で最もいけないのが無関心ということになります。
日本人は、特に「触らぬ神に祟りなし」という感じで、他人に対して無関心になりがちです。
しかしこれでは、当然ですが相手の役に立って貢献の欲求を満たすことは全くできませんので、やはりこれも越えていかなければならない壁になりすね。
まとめ
以上で、人の役に立つことが難しい理由と、貢献の欲求の正しい満たし方についての話を終わります。
まとめると、下記の通りです。
- 人の役に立つことは、思った以上に難しいことである
- 人の役に立つためには、そのための力を身に付ける必要がある
- 自分のしたいことと、相手のされたいことが一致している必要がある
- それが一致していない場合は、本当の意味で貢献の欲求を満たすことはできない
このように考えると、本当の意味で人の役に立つためには、かなりの努力と覚悟が必要だなと感じました。
しかし、やはりそれができて貢献の欲求が満たされたときの充実感は本当に素晴らしい気持ちだと思いますので、これからもそれが得られるように日々精進をしていきたいですね(^^)
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