心と魂。
あなたは、この2つの違いが分かりますでしょうか?
私は、最近まで分かっていませんでした。
というか、この2つの意味がごっちゃになって、混同していたという感じです。
というか、正確にはこの2つだけではなく、下記の言葉の意味を正しく理解できていなかったです。
- 心
- 魂
- エゴ
- 感情
- 潜在意識
- マインド
自己啓発やスピリチュアル系の本を読んでいるとどれも良く出てくる言葉ですが、今思えば、全然分かっていなかったと思います。
そんな状態だったのですが、今回、相川圭子さんの書かれた「ヒマラヤ大聖者の人生を変える瞑想」という本を読んで、その違いがようやくはっきり分かりました。
※今回私が読んだ本は、こちらです。
今まで、心と魂の違いが全く分かっておらず、全く見当違いの方法で幸せを求めていたことに気づいたのです。
そこで今回は、この本を読んで分かった心と魂の違いや、幸せな人生を送るためにはどうしたら良いかを、自分なりまとめてみたいと思います。
幸せを求めた失敗事例
心と魂の違いの前に、まずちょっと、 自分自身の幸せを求めた失敗事例を振り返りたいと思います。
もちろん私も常々幸せな人生を送りたいと思っていましたので、幸せを手に入れようとしてがんばってきました。
しかし、がんばってきたにも関わらず、下記の方法では本当の意味で幸せになることはできませんでした。
現実の幸せを求めて失敗
まずは、分かりやすい失敗に事例です。
現実世界の幸せによって人生を幸せにしようと思っても、無理でした。
現実世界の幸せと言えば、下記のようなものですね。
- たくさんのお金を持つ
- 良い大学に入る
- 良い会社に入る
- 良いところに住む
- 友達と遊ぶ
- パートナーを作る
- 家族を作る
- 旅行に行く
ちなみに、私自身はもちろんめちゃくちゃなお金持ちでもないし特に女性にモテた訳ではないですが、それなりに努力をして、現実世界を幸せにするためにがんばってきました。
でも、望んでいたものが手に入った一瞬はそれなりに幸せな気持ちになるのですが、ずっと幸せな気持ちでいることは不可能でした。
そして驚くことに、どれだけ大金持ちになっても、限りなくこの欲望は続いて、いつまでたっても満たされることがないのだそうです。
私のような一般人だけではなく、世界中のどんな大富豪でも、現実世界の環境を思った通りにすることでは、幸せになれないのです。
心の幸せを求めて失敗
現実の環境をいくら揃えても、幸せになれないことを悟った私は、今度は心を幸せにすれば良いのではと思い、心を幸せにする方法を色々と実践するようになりました。
例えば、下記のようなものです。
- 常に笑顔でいる
- 自分が楽しいと思うことをする
- 常に心が幸せになるように気を付ける
- 良い気持ちを保つ努力をする
- 好きなことをして良い気持ちを得る
などです。
そうすると、最初は上手くいったような気がしました。
朝の澄んだ空気の中で散歩をすれば心が洗われたような気がするし、好きなことをする時間では充実感を得ることができました。
しかし、 ある一定のラインに達すると、それ以上幸福感を得られないようになりました。
それどころか、心を幸せにするための方法をずっと続けているのに、前と同じ幸福感が得られなくなっていったのです。
そこで、気づきました。
いくら心の幸せを追求しても、キリがないし、心をずっと幸せな状態に保つことは不可能だということに。
実は、心の幸せを求めることも、現実の世界で幸せを求めることと五十歩百歩で、上手くいかない方法の一つだったのです。
心の性質
そんな失敗をしている中で、この本を読みました。
読み始めた動機は、瞑想に興味があったからで、最初から心と魂の違いを知ろうとしていた訳ではありません。
そして何気なく読んでいると、 衝撃の内容に出会いました。
一言でいうと、
心を幸せにし続けようとしても、疲れるだけやで!
と書いてあったのです。
私にとっては、これは衝撃でした。
なぜなれば、これまでの私は、心を幸せにするために必死になってがんばっていたからです。
それを頭から違うと言われたのですから、まさに青天の霹靂といった感じでした。
これはまさに回し車を走るハムスターのようで、幸せを求めて走り続けてはいるものの、永遠に続く心の幸せという幻想を追いかけているだけで、疲れるだけの行為になっていたのです。
幸せを必死になって追い続けて、思いっきり走ってジャンプすれば一瞬は手が届くものの、決してそれが下りてきてくれることはありません。
仕方がないので、また全力で走って幸せを取りに行く、その無限ループです。
このように、常に幸せな状態でいることは、心の性質上不可能なことなのです。
そしてこの本では、心とはこのようなものと書かれています。
- 常に私たちの心は渇き、足ることを知らない
- 「思考」や「感情」を自分だと思っているかもしれませんが、それもあなた自身ではありません。
- 自分の考えや、そのとき感じる喜怒哀楽が、自分自身だと思い込んでいる。
- 感覚は、人類が生き残るために神様が与えてくれた機能。
- 感覚が目的になって、それのみを求めていくと、やがてむなしく自分を苦しめる。
- 心が自分だと思っているから、外側の刺激で反応して振り回されてしまう。
などです。
びっくりです。
私は、自分の心が自分自身だと思っておりました。
昔倫理の時間に習った、「我思う、故に我有り」という言葉がありますが、その思いというのも、自分の心だとおもっていました。
でもどうやら、これは違うようです。
心というのは、本当の自分では無かったのです。
心と魂の違い
前章では、実は心というのはこの世を生きるために必要だから神様が与えてくれたものであって、それが本当の自分ではないことが分かりました。
では、本当の自分とは何かというと、それが魂となる訳です。
そして、この本では、心と魂の違いを次のように説明されています。
- 心と体は有限で常に変化するもの。疲れもするし、壊れもする。そして、いつかは死んで無くなる。
- 魂は、無限で不変のもの。傷つかないし、疲れもしない。体が死んでもなくならない。
イラストにすると、このような感じですかね。
自分の最も内側に魂があって、その一つ外に心、そして最も外側に体があります。
このうち、魂は不変なもので、何があっても傷つかないし、その輝きを失いません。
また、死んでもなくなりません。
この部分が本当の自分で、その人自身の本来の美しさにつながる部分です。
その一つ外側にある心は、魂と体をつなぐ役割があります。
見える世界の体と、見えない世界の魂をつなぐために、心が必要なのです。
そして心と体はこの世を生きるために神様からお借りしているもので、それには限りがあります。
有限で常に変化し、いつかは無くなるはかないものです。
本来の自分の姿で良い人生を送るためには、この3つの違いをきちんと理解しておくことが必要なのですね。
ちなみにですが、今まで色んな自己啓発本を読んで混乱した原因は、「心」「潜在意識」「マインド」といった言葉などが、おそらくこの本で言うところの「魂」と同じ意味で使われているものがたくさんあったからだと思います。
本来であれば、これまで話してきた通り、心と魂は別物でそれぞれ分けて考えるべきものだったのですが、それを分けて考えることができておらず、混乱していたという訳なのですね。
だから、そうかー、心とか潜在意識を幸せにすることが大事なのかーと思って突っ走ったら、見事に滑ってこけて失敗したのです(笑)
心のあるべき姿
この章では、心のあるべき姿について触れていきます。
ここまでお話していくように、常に幸せな状態であることは、心のあるべき姿とは言えませんでした。
では、心のあるべき姿とは、どのようなものでしょうか?
この本に書いてあることを一言で表すと、心のあるべき姿とは、下記のような状態と書かれています。
汚れの無い清らかな水のように透明かつ、平穏で凪いだ海のような状態。
このように、心の汚れを取り除いて心を限りなく透明に近づけていって、なおかつその水が荒波のように暴れているのではなく、鏡のように静かにたたずんでいる状態が心のあるべき姿のようです。
でも、よくよく思い出してみると、言い方は違えど、結構色んなところでこの状態が理想だと言われていたんだと思いました。
例えば、この状態の心は、下記のような表現の仕方で色んな人が大事だと言っていたのです。
- 無心の状態
- 水面のような心
- ゾーンに入る
- 澄んだ心
- 無の境地
- 中庸の状態
- 赤ちゃん脳
こんなにもたくさんの人が色んな表現でこれが大事だと一生懸命言ってくれていたのに、私はその本質を全然分かっていなかったのですね。
心というのは、魂と体をつなぐ役割がありますから、この世に生を受けて生きている限り、心は無くならずにずっと働いているものになります。
心が完全になくなってしまったら、魂と体をつなぎとめておくことがでず、この世にいられなくなっちゃいますからね。
なので、 この世を生きるために必ず必要な心を、本来あるべき姿にしようとするのは、とても大切なことになるのですね。
ここからは私なりの考察になりますが、心がこのような状態になって、初めて自分の意識と本当の自分である魂が結ばれて、本来の自分の姿で生きていけるようになるのではないかと思います。
なぜかというと、自分の意識と魂の間に心があるので、心が透明ではないと、意識の世界から魂が見えないからです。
例えば、心が真っ黒に汚れていると、意識の世界から魂は見えません。
そしてまた、心がバラ色の状態でも、同じく意識の世界から魂は見えません。
黒よりは良いのかもしれませんが、本当の自分とはつながることができないのです。
これが、いくら心の幸せを追求しても、常に何か満たされず、何か不足しているように感じる原因だと思います。
では、澄んだ状態の心ならどうでしょうか?
これなら、 意識の世界からもではっきりと魂が見えるので、本当の自分の姿で生きていくことができるのですね。
これが、澄んだ心を保つことが必要な理由だと思います。
瞑想で、澄んだ心に
最後の章では、どうすれば澄んだ心を手に入れれられるのかについてお話します。
早速ですが、その最も有効な方法は「瞑想」になります。
まあ、この本のタイトルが「ヒマラヤ大聖者の人生を変える瞑想」ですから、それはそうなりますよね(笑)
瞑想が心にとってとても良い行為だとはいろんな人が言っていますが、なぜ心に良いのか、ようやく分かった気がします。
ただ、この本では安易に独学で瞑想をするのは危険とも書かれているので、瞑想を行う前には、きちんとやり方を学んでからの方が良さそうです。
一番良いのは、瞑想をマスターした人から直接指導してもらうことだそうです。
でも、日常生活の中で中々そこまでは難しいので、瞑想の本を読んだりユーチューブで学習しながら、瞑想を行っていけたら良いですね。
終わりに
以上で、心と魂の違いについての話を終わります。
この本を読んで、ようやく心と魂の違いを正しく理解することができました。
もちろん、正しく理解しただけでは意味が無いので、日々の生活の中でその違いを意識し、より自分らしい人生を送っていくことができたらと思います。
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